アラサー女が人生について考えるブログ

アラサー女アオイケの、これまでと今とこれから

仕事とスキルと人間関係について考える

アオイケです。

 

仕事をしていると、本当に様々な人に出会います。私は今内勤ですが、一年前まで営業をやっていたので、その出会い幅は本当に広かった。出会ってすぐ好感が持て、まるで昔からの友人であったかの様なノリで接することが出来る人。そんな人が居たかと思えば、何回会っても何回話しても「なんだこいつ?狂ってんのか?」ってくらい解り合えない人も居る。とは言え営業として接する場合、相手は社外の人間であることが殆どだし、相手も人と接して仕事を遂行していくことに慣れている人がほとんどなので、まあ世の中色んな人が居るよね程度で何とかなってきました。

 

ところが、これが内勤となると話は違います。仕事で出会える人数もガクッと減るし、常に固定のメンバーと仕事をします。(とは言え弊社は非常に人の入れ替わりが激しいので、数ヶ月に一回のペースで新しいメンバーが加わりますが…)また、仕事を共にするメンバーも、正社員だけでなく派遣さん、パートさんと多岐に渡ります。言い方が悪いかもしれませんが、派遣やパートで事務で入社される方は、めちゃくちゃスキルがあって頼りになる方から、「ちょっとびっくりするほど社会性無いのでは…」という方まで、本当に幅が広いです。

 

「仕事をするメンバーが固定的」であり、営業の様に「コミュニケーションがある程度取れる前提で入社していない」メンバーと仕事をしていく環境というのは、思った以上に人間関係が難しい。私はヒラ社員ですが、これでも管理者として派遣さんやパートさんを率いて仕事を遂行していく責務があります。というか、そういう想いを持って仕事に取り組まなければ、事務として正社員に居る意味が無いと思っています。ただ作業的に仕事をこなすだけなら、それこそ派遣さんやパートさんで良い訳で。正社員としてそれなりの待遇、賃金を頂いているのであれば、それなりの責任があって然るべきだと。これは私なりの仕事に対するプライドなのかもしれません。

 

話が逸れました。

 

本題は、「本当に様々な人がいて、仕事が出来る人出来ない人居るけれど、それら含めてうまく業務を遂行していく場が会社だよね」です。

これは愚痴になってしまうのですが、弊社の従業員、社員派遣パート含め、本当に人の好き嫌いを言う人が多過ぎる。ただ話のネタとしてあーだこーだ言ってるだけならまだ良いです。問題なのは、その人間関係を仕事に持ち込んで、業務に支障をきたすケースが少なくないと言うことです。

私も人間なので当然好き嫌いはありますし、「なんだこいつヤベェ日本語わかんないの…?」って思うくらいに違う世界を生きてるんだなーこの人…て思うこともあります。というか、自分が思ってるほど他人は自分と同じものを見ていないし、考えてもいないし、感じてもいないってことを心底思わされます。単刀直入に言うと、私が思う「普通」程度の理解や振る舞い、業務の遂行が出来ないレベルの人もそれなりに沢山居るってことです。身も蓋もないけど、世の中びっくりするほど仕事できない人って沢山居ます。

それに対して、「あの人はわかってない!バカすぎ!あの人と仕事したくない!!!」と切り捨てるのは簡単です。でもそれをやってしまうと自分の首を絞めることに他ならないのです。一緒に業務を進めることの出来る人間が一人減るというのは、それだけ自分に負荷がかかると言うこと。どうしたって仕事はチームでやるものです。だからこそ、チームの人間一人ひとりが上手く噛み合って仕事をしていける環境作りに時間を割くことは、私の責務だと思っているのです。

 

だから私は、まして正社員でそれなりの社会人歴があるのに、仕事の出来る出来ないで人の好き嫌いを判断して、更には業務に支障をきたすようなことをしている人を見ると心底呆れます。たしかに本当にどうしたって分かってくれない人は居るものです。だけど会社はあくまで仕事をする場所で、遊び場じゃない。そこは感情を切り捨てて、「どうすれば上手く業務が回るか、仕事を進められるか」の一点にフォーカスして行動を決めていくべきだと思うのです。

 

例を挙げます。

自分の後輩が、何度言っても求めるクオリティで書類を作成出来ないとします。これに対して「あいつは何度言っても出来ない!バカだ!もう自分でやる!」切り捨ててしまえば、後輩はいつまで経ってもスキルが向上しないし、自分の仕事は増えます。

しかしそこで一歩後輩へ踏み込んで、「なぜ出来ないのか?なぜつまづくのか?逆に後輩の能力に依存しない仕組みは作れないのか?」と考えることが出来れば、後輩のスキルアップor業務の仕組み化が出来て、自分の仕事も軽くなってWIN-WINの関係ってやつです。

 

また、私は基本的に「誰にでも必ず良いところと悪いところがある」をモットーに仕事しています。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、で、一旦悪感情をその人に抱くと全てが悪く見えがちです。だけどそんな時こそ、無理矢理にでも「でもあの人は、こんなことが出来る」「こういう性格が、こういう点にプラスになっている」と、良いところを見つけるようにしています。そうすれば、その点を生かして仕事へプラスの影響を与えるような環境も作れるし、何より自分の個人的な「嫌い」の感情を仕事に持ち込まなくて済むのです。

 

まとめると

・仕事に個人的な好き嫌いの感情は持ち込むな!

・管理者であるならば尚更チーム全員を生かせる環境作りに注力する!

・出来ないから切り捨てるのではなく、出来る環境を作る!

・どんなに嫌いで苦手な人でも、無理矢理良いところを探そう!

です。

 

まあね、もちろん、そりゃまー毒ガスの様に周りに悪影響を撒き散らすやばい人も居るんですよ。こういう人に限って大して仕事が出来ない。そういう人が居る場合、その人を雇用し続けるメリットとデメリットを天秤にかけて、デメリットの方が大きい場合、切るという選択も考えなければいけないと思います。正社員じゃ難しいかもだけど…そういう時は出来る限りチームのメンバーに細やかにフォローを入れる様にしています。ちゃんと考えてるよ、分かってるよ、っていう姿勢を示すだけでも違うと思うので。

 

弊社辞めたいって喚いてる割にはそれなりに真面目にやるべきことはやってるんです。そして目指すは自分が居なくても仕事が回っていく職場。そして私は華麗に退職したい。

 

以上です!

 

レオパレス騒動に見る、自衛の必要性を考える

アオイケです。

 

レオパレス、燃えていますね。

こちらのニュースによると、現時点で調査が済んでいる物件のうち8割に何らかの不備があるとのことです。

とんでもないことですよね。確かに、レオパは昔から壁が薄くてチャイムが鳴ったと思ったら3軒隣だった等の伝説が沢山ありました。そしてそれが、ネタではなく本当に施工不良によるものだった!と炎上したのが昨年5月。

そして今度は本気で危ない耐火構造の不備。特に危険性の高い物件の入居者には、来月3月中の退去を求めているとのことです。散々ニュースでもやっていますが、レオパレスの入居者は学生等の単身者が多く、特にこの時期の急な引っ越しとなると非常に辛いものがあります。もし私が学生一人暮らしで、この騒動に巻き込まれていたら、「何で私がこんな目に…」と不安で仕方ないと思うのです。

そして更にはこんなニュースまで。

埼玉県の物件で暮らす会社員。何よりも腹立たしいのは、3月分の家賃を求められたことだという。また、通知文書には「転居に伴う引っ越し費用は弊社で負担させていただきます」とあるのに、兵庫県の物件に住む会社員の女性は、担当者の「全額は負担できないと思います」発言に言葉を失ったという。

「全額は負担できない…?」

どの口が言ってんだぼけ!ふざけるのもいい加減にしろよ?!?!!!と思わずブチ切れてこの担当者にエルボーかましてもおかしくない。

「日本人は勤勉で真面目!」とか言ったやつどこのどいつだよ。出てこい。

本当に、退去対象となってしまった方々が不憫でならないです。繰り返しますが、もし私が対象者で金銭負担してまで退去しなくてはいけないとなったら、怒りで腑が煮え繰り返ると思う。世の中どうなってだ。理不尽すぎるにもほどがあるーーーー

そう。

世の中は理不尽なことだらけ。正直者が報われるとは限らない。悪者に必ず罰が下るわけではない。

 

そんな世の中で、出来る限り被害を被らない為には、ある程度の「自衛」が必要だと思うのです。

 

例えば、今回のレオパレスのケース。恐らくレオパレスが「ヤバイ会社」だということは、ある程度の今までの騒動等から分かる人には分かるはずなのです。分かっている人は当然賃貸物件を選ぶ際にレオパレスを候補としない。しかし、レオパレスはその特性から学生入居者が多い為、学生にそこまでの判断を求めるのは酷かもしれない。だとしても、親が止めることも出来たはずです。

 

日本人は真面目で勤勉、だから日本企業も日本クオリティで確かに信頼の置ける仕事をしてくれる。これがメディアが謳いがちな日本の企業像です。確かに、プライドを持って確実な仕事をする企業も存在します。しかし、100パーセントがそうでしょうか?そんなことはあり得ません。だって、トップが平気で統計の不適切調査を行うような国ですからね。もう何も信用できない。

嘘です何も信用出来ないは言い過ぎました。

私は人生ラクに生きたい人間です。基本的にはあんまりいろんなことを疑いたくないし、気にし過ぎずふんわり生きていきたいです。だけど、締めるところは締めなければ、ノーテンキに人生の色んなことを流されるまま受け入れていては、気づけば搾取されまくって全然ラクじゃない!そんな状況に陥ってしまいます。悲しいけど。

 

統計取った訳ではないので私の感覚でしかないけど、日本人って性善説に基づいて色んなことを決めてるような気がします。私含め。だってその方がラクなんです。勧めてくれるものを流されるがままに受け入れる方がラクなんです。

色んな情報を手に入れて、比較検討して、自ら意思決定するのは本当に疲れるし大変です。だけど、そうしないと、知らないうちに大損します。私も、今までの人生知識不足のせいでどれだけ損してきたかわかったもんじゃないです。

 

完璧に全て先回りして知識つけて…なんてのは無理だし、そもそも完璧なんて存在しないのでそれを目指すのは単に苦しいだけです。そうじゃなくて、そういう風に努力する姿勢とか気持ちが自衛に繋がり、今回はレオパレス騒動を例に挙げましたが、弱者として理不尽な目に遭い不利益を被ることも無くなっていくのではないかなと思うのです。

 

余談ですが私はいま所謂「プレ花嫁」というやつで、まさに結婚式準備真っ最中です。チャペルが素敵だからここ!!!と式場を決めたのですが、ドレスの持ち込みが一切不可で、提携内では気に入るものが無く非常に後悔してもしきれない苦しい心境です。もっと事前に卒花嫁()達のレポやアドバイス等で学んだ上で式場決定していればこんなことには…とひたすら後悔しています。自衛失敗の良い例ですね。

こんな僻地ブログをこれから式場を決めるプレ花嫁様がご覧になっているとは思いませんが、もしいらっしゃったら、私の例を是非反面教師にして頂きたく思います。

 

以上。

「外資系コンサル」の正体について考える

アオイケです。

 

「外資系コンサル」と聞いて、何を思い浮かべますか?

エリート?高給取り?激務?なんか偉そう…意識高そう…

私が思う「外資系コンサル」のイメージはこんな感じです。ひどい。

 

何でこんな話をするかと言いますと。

こないだ仕事中、職場の本棚の【「外資系コンサルの」仕事を片付ける技術】という本がやけに目に付きました。その時私は「外資系コンサル」というワードがはひじょーに気になりました。

外資系コンサルってそもそもなんやねん?「外資系コンサルが教える」を謳い文句にしてるけど、そんなに外資系コンサルがみんな偉いんか?何様やねん?

次々と湧き上がる疑問、外資系コンサルに対する勝手なる妬み嫉みの感情。そして「これをブログにしたら面白いかな…」という打算的な思惑もあり、いわゆる概念としての「外資系コンサル」について考えてみることにしました。

概念としての「外資系コンサル」というのは、職業としての「外資系コンサル」ではありません。今の世の中、「仕事がめちゃくちゃできるビジネスマンの代名詞」=「外資系コンサル」と言うくらい、「外資系コンサル」は概念化されているように感じます。

そんな「外資系コンサル」に、我々一般凡人中小企業サラリーマン(ウーマン)はどう立ち向かうのか?

それが今回の命題です。

 

①職業としての「外資系コンサル」

今回の趣旨からは外れますが、一応。

「外資系コンサルとは」でググりました。そしたら神か?!というくらいに総合的にまとめてくださってる分かりやすいブログがありましたので貼らせて頂きます。

https://asiamagazine.com/archives/14148

コンサルティングファームとは?


コンサルティングファームとは、企業が抱えている問題の課題解決をする会社・企業で、そこで働く人たちをコンサルタントと言います。

企業を取り巻く環境や抱えている問題は、IT、人事、財務関連と様々で、コンサルティングファームもそれぞれ得意な領域や業界があり、色々な種類のファームが存在します。

企業のアドバイザー的な感じですね。

成果主義な分結果を出すことが常に求められる


外資系コンサルは成果主義な分、与えられるノルマも高く成果を出すために徹底的に努力をしていかなくてはなりません。

通常の労働時間内には成果を残すことができず、終電に近い時間まで働くことも日常的にあります。

また、プロジェクトのスケジュールがきつめに設定されることが多いので、プロジェクトが完遂するまで時間を削らざるを得ないという面もあります。

ひっ…すごい…成果主義…できない奴は生き残れない業界ですね。そりゃあ「外資系コンサル」を名乗れるのは一握りの超絶スーパーサラリーマンサラリーウーマンだけになりますね。凡人でぬるりとやってる私など到底立ち向かうことすら許されない存在だと再確認しました。

 

②私が「コンサル」に持っている感情

とまあ、当然「外資系コンサル」であり続ける=成果を出し続ける為には、物凄い労力と向上心と体力と野心が必要です。そういう資質が求められる職業はきっと他にもたくさんあると思いますが、世間的に分かりやすく認知されているそれが「外資系コンサル」なのでしょう。

しかし私個人的には、「コンサル」というものにあまり良いイメージを抱いていません。弊社にも現在進行形で常駐型のコンサルが入っていますが(「コンサル」と書いているのはそのコンサルが外資系か内資系かナイシトールかよくわからないからです。)、弊社は良くなるどころかどんどん疲弊して悪くなっています。だって、一月に正社員(しかもそこそこの役職者)の退職情報を3人分も聞く会社ですよ?控えめに言ってヤバイ。

きっと確実に成果を出す素晴らしいコンサルの方も沢山いらっしゃると思います。だけど、自分の身近でこういうことが起きてしまうと、どうにも悪い感情が先に立ってしまいます。

 

③コンサルの言うことを鵜呑みにするな

ただの平社員ながらに、どうしてこんなことになってしまったのか、考えるのです。それはおそらく、「上の偉い人たちがコンサルの言うことを鵜呑みにしてしまったから」ではないかと。

企業である以上、売上および利益目標の達成が絶対的に求められます。その目標値の設定根拠はともかくとして。

そしてぬるぬるやってきた弊社のような中小企業には、恐ろしいほどの非効率が存在します。それに対してコンサルは、容赦なく上の偉い人たちのケツをひっぱたいて、「コストカット!管理の徹底!!無駄は許さない!!!」と、効率化を求めます。

無能…いや、そうですね、ここはあえて有能と言わせて頂きますが、そんな有能な上層部の方々は現場のことなど一切考慮せず、コンサルの言う「効率化」をひたすら押し進めようとします。

すると何が起きるのか。

考えなくてもわかるのですが、机上の計算で弾き出された数字だけを追う「効率化」は、中身がないので当然現場で実現出来ません。それが続くとどんどん現場が疲弊して、どんどん人が辞めてゆくのです。

しかし、コンサルはたとえ結果が出なくとも、それは「コンサルの責任」ではないと言える。「私はこんなに素晴らしい策とノウハウを伝えているのに、実行出来ない企業が悪い」としてしまえるから。

もちろん、現場だって上だって、非効率的な部分が多いことも、改善すべきことが多々あることも、分かっているのです。それを確実に改善していくことができない我々が無能なのは認めます。所詮地方の中小企業なんてそんなもんなのです。だけど、コンサルだって、「たかがコンサル」じゃないかと。自分で会社経営したことあるのかよ?と。そのノウハウだって、どこかのテキストに書いてある一般論じゃないのかい?と。

100の企業があれば、その企業がうまくいく方法だって100通りなはずだし、そもそも確実にうまくいく方法なんてものは無い。

だからこそ、我々コンサルティングされる側も、「コンサル様が言う方は全て正しい!実行せねば!」と思考停止で鵜呑みにせずに、一度よくよく考えて、何をして何をしないか、決断する必要があると思うのです。

 

④結局「外資系コンサル」の正体ってなんなの

まとめに入ります。

結論、「外資系コンサル」も我々も、同じ「人〜ホモ・サピエンス」だということです。

だからこそ、「外資系コンサル」様が仰ることは全て正しい!!!と盲信せずに、一度自分で考えるプロセスが大切だよね、ってことが言いたいのです。

 

余談ですが、私が上でボロクソに書いたコンサル様と、普段は滅多に話す事などないのですが、何の因果か今日お話しする機会がありました。

よくよく話してみると、ちょっと口が悪いけど気さくなにーちゃんだなって感じでした。良い奴じゃん。

こんな僻地のブログだけど、こき下ろしてごめんなさい。

「外資系コンサル」という肩書きで判断するな!みたいなことを書いておきながら、「コンサル」という肩書きに一番過剰反応してその人を知る前から毛嫌いしていたのは私でしたというオチです。

人生日々精進ですね。

 

以上。

幸せについて本気出して考えてみる

アオイケです。

 

記念すべき10記事目!ブログを始めて1ヶ月、ようやく記事数が二桁になりました。飽き性で何でもすぐ投げ出してしまう私ですが、何とか続けられております。これもひとえに、読んでくださる方、スターをくださる方、神様の様な皆様方のお陰だと思っております!

 

あと、ちなみに、ツイッターも初めております。アラサー女子の皆様、良かったら仲良くしてください!

aoikeee (@aoikeee) | Twitter

 

前置きが長くなりました。

 

私はこのブログという場を借りて、日々のひっかかりやモヤモヤについて、流してしまわずに突き詰めて考える!ということをやっております。始めた当初からそういうテーマでやろう!と決めた訳では無いのですが、ブログタイトルでもある「〇〇について考える」縛りで記事を書いていたら自然とそうなったという感じです。

そして、物事を考える時、私は必ず「どうしたら幸せになれるのか?」をベースに組み立てる様にしています。

しかし、ふと考えるのです。

 

そもそも幸せってなんぞや?

 

というわけで、今回の記事では「幸せ」について本気出して考えてみます。

お気付きの方も多いと思いますが、ポルノグラフィティの曲のタイトルです。私の青春です。

 

①「幸せ」の定義

まずは、言葉の意味から。ウィキ先生に聞いてみました。

幸福(こうふく、希: εὐδαιμονία、羅: felicitas、英: happiness)とは、心が満ち足りていること[1][2]。幸せ(しあわせ)とも。人間は古来より幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。

なんだかわかったようなわからないような…。つまるところ、心が不満や不足を感じていない状況、満足しいてる状況、を指すと私は理解しました。

 

…え、そんな状況、あり得なくない?

 

だって、生きてればお腹が空くし、眠くなるし、家事は面倒くさいし、夢を抱いて転職した会社も今ではクソ呼ばわり、あんなに大好きだった彼氏も夫になったら不満が出てくる(いや愛してるけどさ?)。

人間である以上欲があるし、一瞬それが満たされて幸せだと感じても、すぐに次の足りないものを見つけてしまうし求めてしまう。

つまるところ人間は、永遠に続く幸せを手に入れることなど出来ないのでは…?

私なりに幸せについて考えてみた結果、人間は完全に幸せな状態にはなれないという結論に至ってしまいました。でも、そんなのあんまりだ!結局は辛いだけの人生なんてごめんだ!!という訳で、過去の偉大なる哲学者の方々の知恵をお借りして、なんとか幸せな人生の糸口を見つけられないか次で探ってみようと思います。

 

②哲学的な「幸せ」

「哲学 幸福」でググってみました。

一番上に出てきた上記のサイトがいきなりわかりやすかったのでリンクを貼っておきます。

ニーチェにソクラテス、孔子…今までの人生で全く哲学など触れてこなかった私でも一応聞いたことのある名前がズラリと並んでいます。そんな著名な哲学者達の「幸福」についての考え方は一見全く違う…様に見えるのですが、暫く眺めているとなんとなく共通点が見えてきます。

それは、「幸福を追い求めているうちは幸福にはなれない」ということです。

「足るを知る」ことこそが、幸福への唯一の道だということでしょうか…。

なんというか…悲しいことに…私の様な欲深い人間は、一生幸せになれない気がしてきました。

 

③「幸せ」は自分次第

しかし、「幸せ」を語る上で大切なことが一つあります。それは、「全ての出来事はただの事象であって、それが自分にとって幸か不幸かを決めているのは自分自身」と言うことです。

例えば目の前に「大きなホールケーキ」があるとします。甘いものが大好きな人は、それを見ているだけで幸せな気持ちになるでしょう。しかし、甘いものが苦手な人、ダイエット中の人などは、なんの感情も抱かないか、気持ち悪くなってしまう人もいるかもしれません。

結局、同じ経験をしても、幸せになるか不幸になるかは自分次第ということです。

 

④幸せになる過程も幸せだと思うしかない

私は今、不幸ではありません。それは断言できます。そりゃあ、嫌なこと、辛いこと、そう感じる出来事は断片的には沢山あります。だけどなんとか乗り越えてきたし、これからもきっと乗り越えていけるだろうという変な自信だけはあります。だから不幸ではありません。

だけど幸せかと言われれば、そんな気もするし、でも足りないものはたくさんあるし、理想を語ればキリが無いです。そして今私は、その理想を現実にしたいから、常にこれからのことを考えています。これからどうしていこうか。どうなっていけるのか。それを考えると、ワクワクします。見方を変えれば、これが幸せということなのかもしれません。

大事なのは、不満や不幸を感じる現状に甘んじないこと。たとえ今そういう状況にあっても、抜け出す希望があればそれは不幸では無い。その為には決して思考停止せずに、常により良い未来を、幸せを、追い求めて考えて行動していくことが必要だと思っています。それが出来ることが、「幸せ」ということなのかな。

 

⑤最後に

幸せについて私なりに本気出して考えてみました。なんとなくわかった様なわからない様な…でも仕方ないです。だって何千年も前から知者達がこぞって「幸せ」について考えてきたのに、未だにこれだ!という答えが見つかって無いのですから。だからとりあえず、自分が思う幸せを目指して、日々精進せねば…という感じです。

 

以上!

 

私と夫とPMSとの付き合い方について考える

アオイケです。

 

絶賛PMS発症中である。時期的に生理前ドンピシャなので、この全てに対するイライラと胸の動悸と背中の痛みと乳の痛みは全てPMSということにするしかない。こういうときは何を考えても、何を書いてもネガティブ愚痴大会になってしまうので良くないとは思うのだが、逆にこのPMS中の思考回路で書き残したものがどんなものであるのか、正常時に見返してみたいとも思い、今必死にパソコンに向かっている。

どうでもいいことだがパソコンデスク選びに失敗したせいで、非常にタイピングし辛くこれもイライラの要因になっている。早くなんとかしないと。

というように、PMS中は、普段なんとなく違和感があってもスルー出来ることが許せなくなってしまう気がする。そして、その許せなくなってしまう対象となり、PMSの被害を最大限に被ってしまうのが夫である。幸い夫は今日から1週間出張で家を空ける。しかし私は、生理周期が超絶順調なので、また今月末~来月頭に魔の期間はやってきてしまう。

折角夫が居らず一人の時間も取れるので、PMSについて今一度勉強し、次月から少しでも私と夫お互いが気持ち良く暮らせる方法を考えてみたいと思う。

 

PMSとは?

世のアラサー女性の皆様ならば、改めてご説明するまでもないと思うが、自分の為にも今一度PMSについて学んでみたい。

 

参考にしたサイトは以下である。

www.jsog.or.jp

PMS=premenstrual syndrome=月経前症候群

読んで字の如く、月経の前に起こる精神的、身体的な症状のことを指す。

排卵後のホルモン変動により引き起こされると考えられているが、はっきりした原因は特定されていないようだ。

 

どんな症状がありますか?
精神神経症状として情緒不安定、イライラ、抑うつ、不安、眠気、集中力の低下、睡眠障害、自律神経症状としてのぼせ、食欲不振・過食、めまい、倦怠感、身体的症状として腹痛、頭痛、腰痛、むくみ、お腹の張り、乳房の張りなどがあります。とくに精神状態が強い場合には、月経前不快気分障害(premenstrual dyspholic disorder : PMDD)の場合もあります。

症状として一般的に言われているのは上記のようなもので、特に精神的症状が重い場合は月経前不快気分障害(premenstrual dyspholic disorder : PMDDと言うらしい。

 

自分の症状について振り返る

私が認識しているPMSと思しき症状は以下である。

身体的症状…乳房の張りと痛み、背中の凝りと痛み、動悸、緊張感

精神的書状…情緒不安定、イライラ

 

①身体的症状

身体的症状は全て辛いは辛いのだが、まあ生理前だし…で何となく我慢して乗り切れるところもある。いや、乳房の張りと痛みは結構真剣に困るところもある。下ネタで申し訳ないが私の夫はおっぱい星人なので隙あらば私の乳を揉む。最近は真剣に痛いことを訴えて改善されつつはあるのだが、夜の生活の時は忘れてしまうらしい。無遠慮に大きい身体で私の乳を潰すように圧し掛かってくる。激痛がはしる。だけど恥じらいがある私は雰囲気を壊してはいけないと思い必死に耐える。でもつらい。こんなことが続くと嫌になってくる。次は、それについても具体的に伝えて改善を図らなければ…と悩んでいるところである。ばかみたいな話だけれど、真剣である。夫に悪気は無い。伝えなければ伝わらない。察してチャンになってはいけない、いけないのだ…

 

乳の悩みが長くなりすぎた。

 

②精神的症状

本題はこっち、精神的症状である。PMS中私はとにかくネガティブで被害者意識が強くなる。私が今所属しているリアルなコミュニティは、「家」か「職場」の二択であるが、職場ではPMSは発症していないと思っている。もちろん、PMSによるネガティブ思考対象に職場や仕事は含まれるのだが、それを職場で目に見える形、行動に出すようなことはしていない(と私は思っている)ので、とりあえず今は問題ではない。

私のPMSのよる問題行動は家でのみ、正確には「対夫」のみで発動する。夫と二人暮らしなんだから当然なのだけど、仮にこれが「対母」「対兄弟」であればここまで思い悩まないと思う。思い返すと結婚前実家に居たころ、PMS的思考回路はあったのだが、それを母や兄弟にぶつけるようなことはしなかった。やはり「夫」という存在は、私にとって良い意味でも悪い意味でも特別である。

私は普段(=生理前ではないとき)、職場はしょっちゅうイライラしているが、家ではしない。職場では強い系お局女キャラでやっているが、家では超絶ぶりっこでやっている。ぶりっこは別に無理をしているわけではなく、自然とそうなっている。いや、夫に可愛く思われたいし可愛いくしていると夫が喜ぶからという側面もあるにはあるが、むしろ可愛くいさせてくれる夫に感謝しているくらいなのである。基本的に私たち夫婦は仲が良い。要はラブラブである。もちろんお互い嫌なところはあるし、ちょっと気になる言動などもあるが、その都度解決したり、気にしないようにしたりして、穏やかに暮らしている。

しかし。

生理前になるとダメなのだ。普段であれば流せる言動、行動が全く流せなくなる。具体例を挙げてみる。私の夫は、興味のない話題だと途端に反応が薄くなる。これについては私にも似たようなところがあるし、人間そんなもんだと「普段」なら割り切れるので気にならないのだが、「生理前」にこれをやられるとダメなのだ。

の話をちゃんと聞かないなんて、私はないがしろにされている、私のことなんかどうでもいいんだ、自分の都合のいい時だけベタベタくっついてきて好きだの愛しているだの言うくせに、自分が興味無い時はその反応ってどうなの?自分勝手にも程がある。所詮自分が好きなだけじゃん。最悪、嫌い、もう話したくない…

一瞬でここまで考える。ちなみにこれは今朝の出来事である。その時思ったことを今でも手に取るように思い出せる。PMS真っ最中に記事を書いてみて良かった点である。文字に起こすと我ながら酷い被害妄想だ。そして、これを心のうちに留めておけるならまだいいのだが、私はこれを「夫への態度をあからさまに悪くする」という方法で表現してしまう。別に言葉でなじったり、怒鳴ったり、泣きわめいたりするわけではない。ただ単に、めちゃくちゃこれ見よがしにテンションが低くなる。

だけど、この表現方法はめちゃくちゃ悪質だという自覚がある。私が嫌いな「察してチャン」そのものである。だったらまだ、不満を具体的に夫に訴える方が建設的な気もする。だけど、「私の話全てちゃんと真剣に聞いて!興味無いからって適当にあしらわないで!傷ついた!」なんて言えるか?これを言ってしまったら、私も夫のくだらない話に真剣に向き合わなければならなくなる。それはそれで御免被りたい。だから結果、自分の負の感情との折り合いを付けた結果「テンションを下げる」という行動を取っているのだと思う。

 また問題なのが、「の話をちゃんと聞かないなんて→所詮自分が好きなだけじゃん」というウルトラスーパー理論が展開されている点である。ちょっと話を聞かなかっただけでここまでこき下ろされている私の夫を思うと不憫で申し訳無い気持ちになる。別に、興味無い話を真剣に聞かないからって愛されていない根拠にはならないし、自分が好きなだけの自己愛男という理由にもならない。そもそも、私は夫を愛していはいるが、夫の興味無い話はテキトーにあしらっている。自分のことを棚に上げるにも程があるのだが、PMS真っ最中の私の思考回路は本当にいかれているということだ。

 

PMSにより懸念される問題

上で私のPMS症状を振り返ってみたのだが、私が一番懸念している問題は

「PMSの精神的症状で夫への態度をないがしろにすることを繰り返すうちに、夫を傷つけてしまい夫婦関係が悪くなってしまうのではないか」

ということだ。

何回もPMS→生理が始まる→ケロッとご機嫌になる

というサイクルを繰り返しているからもう理解しているのだが、

「私の興味ない話を適当にあしらう」というような不満は大抵PMS思考によって強調されているだけであって、普段であればさほど気にするようなことではない。だからその部分で夫に変わってもらいたいとかそういう要求はない。(いやもちろん変わってくれたら嬉しいけども)

だけど、PMSによって私が「夫へ静かに悪態をつく」ということを繰り返すことで夫を傷つけてしまい、夫婦関係が悪くなってしまうことが怖い。これは避けたい。だって、私と夫の立場を置き換えて考えてみると、いかに自分が嫌なやつか良くわかる。突然夫が不機嫌になって話しかけてもまともに返答してくれなかったら、悲しくて傷つくと思う。

実は過去に夫にはPMSについて、また自身の症状についても説明してあり、生理前になったらそれを夫に毎月伝えるようにしている。だからある程度は夫の方も、「この時期に機嫌が悪いってことはPMSだな」という理解はしてくれていると思う。だけど、夫の方にばかり対策や自衛を求める訳にはいかないし、PMSだからって傷つけて良い理由にはならない。

「夫を傷つけない」を目標に、PMSとの付き合い方を次にまとめたいと思う。

 

PMSとの付き合い方

www.konicaminolta.jp

こちらの記事を参考にした。

 

①治療

まずは、PMSの症状自体を緩和する根本的アプローチについて。

これはもう記事中の通りなのだが、私が一番真剣に取り組まなければいけないのは3)生活の改善である。

夜更かしをしていたり、食事の時間がバラバラだったりするなど不規則な生活サイクルなのであれば、規則正しい生活を送れるようになるといいですね。ファーストフードやコンビニのお弁当など偏った食事を避けて、塩分を控えめに栄養バランスの良い食事を摂ることも症状の安定につながってきます。

ストレッチをする、お散歩をする、自分に合った適度な有酸素運動が良いと言われています。好きな音楽や映画などで楽しむ、マッサージなどのリラクゼーションスポットに通うなど、普段からストレスをためないようにしておくのもいい方法です。一方で、タバコ、アルコール、カフェインなどの嗜好品、チョコレートや甘いお菓子は、気分転換になるどころかかえってPMSの症状を悪化させてしまうので控えたほうがよいということを知っておきましょう。

 特に赤文字の箇所…耳が痛い…。私はチョコレートと紅茶が大好物である。今日もスーパーで神戸ショコラの大袋を買ってきたばかりだ。紅茶も休みの日であれば1日3杯は飲むし、仕事中であればコーヒーが欠かせない。また、食事についても、割と濃い味が好きだという自覚がある。明らかにPMSを悪化させる要因である…。大好きな食べ物や飲み物を我慢するのはつらい…非常につらい。

しかし、愛する夫との生活を守るためである。ひとまず排卵日以後は、「チョコレートー、カフェイン飲料」を断つことにする。今日ここで誓います。

また、食事に関しても、今一度味付けや調理法を見直していきたいと思う。素材の旨味を生かした薄味の調理法についてもちょうど学びたいと思っていたところだし、これは一石二鳥だと思うことにする。

 

②対処

次に、PMS症状自体との上手な付き合い方について。

さらに大切なことは、自分の暮らしに影響力の大きい人に理解してもらうこと。あなたが最もわかっていてほしい人に協力をお願いしてみましょう。PMSであることを説明し、「生理がくれば、またもとのわたしに戻るから」とあらかじめソフトに伝えておけば、相手にも安心してもらえるでしょう。

これはすでに夫に対して実践しているのだが、PMSであると分かっていても被害を被る方はたまったもんじゃ無いと思うのだ。だけど、PMS思考になっている自分の行動をコントロールすることはとても難しい。だから、次回魔の期間に突入し、どうしようもなくイライラしてしまったら、下記の様夫に告げて物理的に距離を置いてみようと思う。

「今私は生理前につき非常にイライラしています。申し訳無いのだけど一人にさせてください。」

 どうしてイライラしているかの理由とかそういうことは言わずに、呪文のようにこれを唱えて逃げる。そして落ち着くまで、好きなことをする。落ち着いたら、何でも無かったかのように

「落ち着きました。戻ります。」と唱えてそばに戻る。

これだったら言える気がする。

結局のところ、PMS思考中にイライラトリガーが引かれてしまうと夫が何をやってもイラつくだけなので、物理的距離を取るしかないと思うのだ。そう割り切る方がお互い不必要に嫌な思いをすることも、傷つけることもないだろう。

 

最後に

実は今朝、上記でも触れたがPMS思考でイライラしていて、1週間夫と離れ離れになるというのに、そっけない態度で送り出してしまったことを非常に後悔している。結局なんだかんだ言って私は夫が大好きで嫌われたくないし、幸せな結婚生活をずっと続けていきたいから仲良しでいたいのだ。

そのために、PMS改善に向けて真剣に取り組んでみたいと思う。

チョコレートと紅茶とコーヒー、控えます。

 

以上。

 

仕事でイライラしない菩薩の様な人間になる方法を考える

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※唐突にイラストを描いてみました。


アオイケです。

 

最近、怒りっぽくなった。気がする。

 

いや、最近そうなったのではないような気もする。そういえば、前職を退職する直前も、今と同じ様なイライラを抱えてしかもそれを撒き散らしていたような…

 

つまり原因はこうだ。過去のエントリーでも触れているが、私は今の会社に見切りをつけている。具体的にいつ、とはまだ決めていないが、遅かれ早かれ退職するつもりでいる。この会社に長く居ないのであれば、守るものがないのだ。どうなっても良い。どうせ私には関係ない。そういう感情が、私を饒舌にさせている。また退職すると決めてから、会社への、もはやこれは憎悪と言ってもいいかもしれないが、負の感情が加速度的に大きくなっているのも要因だと思う。要はアレだ。別れると決意する前は、「だって…彼にも良いところはあるし…暴力さえなければ良い人なの…」とデモデモダッテして擁護いたのが、決意した後は「あんなクソDV男と付き合ってるなんて時間の無駄だわ。あんなやつ地球上のゴミだわ。」と途端に容赦なく切り捨てる現象に似ている。書いていて非常に的を得ているなと我ながら思う。まだこの会社に居ようかどうか迷っているときは、居る選択を取った自分を正当化したいが為に、決定的なことを言うのは避けて居たのだ。しかし、辞めると決めてから、今度は「この会社に居る」選択をしている人間全員がアホの様に思えてくるし、そのアホどもが少しでも自分にとって都合の悪い行動をしてくれるとイライラが止まらない。なんて恐ろしい思考回路だ。傲慢にも程がある。こんな最悪な自分は、早急になんとかせねばならない。弊社を辞める選択をするは私の自由、要は勝手であり、弊社で働いている他の方々への影響があってはならないし、アホだと見下すことも許されない。我ながら自分の認知が歪みすぎておりドン引きである。 

 

恐ろしいほど前置きが長くなった。

今回のエントリーでは、職場へ悪影響を及ぼさない為にも、イライラで自分のメンタルをやらない為にも、この「イライラ」を無くし、ゆくゆくは菩薩の様な人と呼ばれる様になる方法を考えたい。

 

①アンガーマネジメントについて学ぶ

アンガーマネジメント、ご存知でしょうか。

私は、なんとなく意味はわかるが具体的な内容までは知らなかった。怒りのコントロール手法とか、そんな様なものでしょ?というくらいの認識だった。

最近、向かいの席の営業さんがアンガーマネジメントを心がけている、という話をしてくれた。その時「これはもしかしたら、アンガーマネジメントでこの『イライラ』をなんとか出来るかもしれない』」そう思い立ち、少し真剣に学んでみようと思ったのだ。

学ぶにあたって、まずは優しいところから、ということで下記の本を利用することにした。

アンガーマネジメント入門 (朝日文庫)

アンガーマネジメント入門 (朝日文庫)

 

 

以下、本書の内容を簡単にまとめてみた。

①アンガーマネジメントの概要

・アンガーマネジメントとは、怒りのマネジメント技術である。

・怒りは全く無くすことは不可能だが、物事をプラスに運ぶ為のエネルギーになり得る。これこそがアンガーマネジメントの本質。

・怒りの感情を持つと選択しているのは自分自身。人は置かれている状況に応じて、同じ出来事に対しても怒りを感じたり感じなかったりする。

・怒りは、相手の価値観を受け入れられないから引き起こされる。

コアビリーフ =自分の中のにある、判断の価値基準にしているもの。

・自分のコアビリーフを知り、状況に応じて修正していくことがアンガーマネジメントでは大切。

②具体的技術

【1】

・自分は怒りをコントロールしてどうなりたいのか、 目標とする姿を設定することが大切。

・怒っていても怒っていないようにふるまってみる。そうすると、周囲の反応の変化を身をもって体験できる。これにより、より目標達成への意欲が高まる。

【2】

・人はストレスが多い環境だと怒りやすくなるからストレスがない環境がベストである。しかしストレスがなくなることはあり得ない。まずはストレスレスログをつけ、自分がどんな時にストレスを抱くのか知ることが大切。

・そしてそのストレス要因のなかで、変えられるものは変え、難しいものは仕方ないと受け入れることも必要。 

【3】

・怒りやストレスにより抱く感情は、伝え方が大切。

・「アサーティブコミュニケーション」=相手の立場や気持ちを尊重した上で、自分の伝えたいことを穏便に伝える方法を利用する。

 

ざっとこんな感じだ。本書の後半は、アンガーマネジメントで利用される具体的技術が沢山載っていたが、実際やるとなると…というものもあったので、私が特に使えそうだと思ったもののみ抜粋している。

 

②アンガーマネジメントを実践してみる

という訳で、アンガーマネジメントについてお勉強した私は、早速実践すべく技術の中の一つ、「ストレスログをつける」を実践した。

 

以下は私のある一日のストレスログである。

 

8:30

出社。営業から深夜2:30に送信されたメールを開封する。弊社どんだけブラックだよ…と寒気を感じながらも、こんな時間に送ってくるなんて当てつけか?とちょっとイラっとする。

 

10:30

企画部から資料入力を頼まれる。元データはPDFで貰ったのだが、そのうち一番大切な情報が載っているところが縮小されていて全く読めない。また資料の再提出を依頼しなくてはいけないし、今やってしまいたいのに保留になってしまった。大体、人に提出する資料なんだから、きちんと読めるか確認するのが普通だろ?人としてどうなんだ?とイラっとする。

 

13:10

前の席のおばさんがずっとうるさい。少し黙っててくれないかなあとイラっとする。

 

15:20

仕事を任せきれないおじさんの様子が気になって仕方がない。手を出したら自分がやることになるとわかっているのに、心配でつい「進捗どうですか?」と聞いてしまった。案の定自分がやることになった。イライラする。

 

16:30

なんだかんだで今日は調子いいな、18時には帰れそうだな…と思ったところで、3人から一気に明日締切で仕事が降ってきた。馬鹿じゃないの?なんでもっと早く依頼できないの?あー今日残業確定ですはいさようなら。

 

以後仕事のキリがつくまでイライラエンドレス

 

とまあ、こんな感じである。ひどい。1日のほとんどをイライラしている。しかし、こうやってイライラを振り返ってみると、共通点が見えてくる。それは、①「自分の予定が乱されること」②「配慮や思いやりが足りないと感じること」に特に強いイライラを感じるということである。

 

①「自分の予定が乱されること」

このストレス要因は、アンガーマネジメント的に考えれば「自分で変えることが難しい」類のものになると思う。諦めて、受け入れるしかないのか…それが難しいんだよなあ…それが出来たら苦労しない…

 

②「配慮や思いやりが足りないと感じること」

これについては、自分のコアビリーフ(=判断の価値基準にしているもの)の修正によって改善できるのではないか。でもさ、人に提出するものなら、一通り体裁を整えるのは当然だよね…?あ、この「やって当然」、という考え方がいけないんだよね…うん、体裁を整えるところまで気が回らない人もいるよね、もしかしたらめちゃくちゃ急いでいたかもしれないもんね、仕方ない、仕方ない…

これは何とかうまくいきそうだ。

 

③アンガーマネジメントで菩薩になれるか

アンガーマネジメントで菩薩になれるか、結論はNOだ。人間である以上怒りは無くならない。だから菩薩にはなれない。でも、その怒りは、うまく昇華すれば物事を押し進める強いエネルギーになり得る。私も、せっかくイライラしている=社内に不満があるんだから、それを改善する方向に怒りのエネルギーを使っていきたいと思う。できる限り。出来るかわかんないけど。

また、今回「アンガーマネジメント入門」を読んで、自分と他人の価値観は全く違うものだということを再確認させられた。わかっているつもりでも、こと自分が正しい、正義だと信じているものについては、それが他人にとって必ずしもそうではないということを忘れがちである。こういう考え方もあるんだな、と受け入れることができたら、今よりイライラすることも無くなると思う。多分。受け入れることが一番難しいんだけどね。

最後に、これは私が常々変えたいと思っているところなのだが、私は不満に思ってもそれをうまく伝えることができない。こんなことを言ったら気分を悪くさせてしまうかもしれないし、自分もそれを言うことに労力を使いたくない。要は事なかれ主義なのだ。しかし、本書を読むことで考え方が変わった。アサーティブコミュニケーション、これをうまく使って、伝えるべきことは伝える努力をしなければいけないと痛感した。

 

④最後に

「アンガーマネジメント入門」

これを読んでも菩薩にはなれないが、怒りのメカニズムや具体的対処法まで幅広く載っていて、とても勉強になった。これを少しでも弊社で実践し、私がイライラを撒き散らすことによる周りの皆様への悪影響を出来る限り無くしていきたい所存である。

 

以上。

アラサー娘とアラ還母のこれからについて考える

アオイケです。

 

 

このエントリーで触れたように、私の母方の祖母が年明けに亡くなった。祖母の死は私にとって、今まで気にも留めなかった沢山の事柄について考えるきっかけをくれた。その中でも、これからの行動、選択、そう言ったものに特に影響を与えるであろうものの一つに、「いつかくる母の死」がある。今回のエントリーでは、母の死を意識した上で、アラサー娘とアラ還母のこれからについて考えてみたいと思う。

 

前提として、私は母のことを好いている。関係性も良好である。「毒親」というワードが登場して久しいが、そのある種センセーショナルな響きから、近年母と娘の関係性は基本的に悪いものというスタンスの記事等が多いように思う。しかし今回のエントリーは、純粋に子供として、愛する母への想いを綴ったものであることをご理解頂きたい。

 

母に幸せになって欲しい

母は幸せなのだろうか。

私の眼に映る母は、あまり幸せそうでは無い。世間一般の評価に照らし合わせれば、「子供3人を育て上げ、夫はある程度の地位まで昇進し、何不自由なく生活出来る蓄えと持ち家がある」という状況は、とても幸せなことだと思う。なのに、母は幸せそうでは無いのは何故なのだろうか。満たされない何かを常に抱えているように見える母。その「何か」を娘なりに考え、私が出来ることは限られているかもしれないけれど、少しでも母を幸せに、いや、楽に生きることが出来るようにしてあげたい。母と言えど所詮他人。他人が他人を幸せにしたいなど、烏滸がましい事だとは思うが、なんとかしてあげたいのだ。このままでは、母は幸せでは無いまま死んでしまうかもしれない。そんなことは、私が嫌なのだ。

 

母は、とても真っ直ぐな人だ。娘の私が言うのも何だが、今の時代では珍しいほどに真っ直ぐであり、正義感が強い。そんな母の真面目さのおかげで、私は何とか真っ当…(おそらく)に育ったのだが、反面それが母を苦しめているように思える。自分に厳しい分、それを他人にも要求する。自分の価値観から外れた行動を取る人間を、許すことが出来ないのだ。私がこんなに苦労して頑張ってきたのだから、あなたもそうあるべき。それが行き過ぎると、自分の思う「正解の行動」を取らない人間全てに苛立ちを覚えるようになってしまう。幸いなことに、母はそれをあまり私たち子供には向けなかったが、父や姑、小姑にそれは全力で向けられている。しかし、当然のことながら、そこにヒトが100人居れば、100通りの価値観が存在し、その価値観が完全に一致することなどあり得ない。それが分かっていれば、およそ自分の価値観通りに他人が動くことなどあり得ないと解るし、苛々することもない。

母を日々の苛々から救う為には、上で述べてきた「自分と他人の価値観が違うのは当然で、自分が思う通りに他人が動くなどあり得ない」という認識をしっかり持てるかがキーになるのでは、と考えている。

しかし、私は心理学の専門家でも無ければ勉強をしたことも無いから、こういった「認知の歪み」の矯正を、他人がどう働きかければ適切に行われるのかが分からないのだ。

これは、私の今後の課題である。母を救う為に、もっと知識をつけたいと思う。

 

親孝行とは何なのか

上で述べてきたように、私は母に幸せな人生だった、と思いながら最期を迎えて貰いたい。それが私にとっての親孝行である。と言えば聞こえは良いが、所詮親孝行は自己満足に過ぎないとも思っている。人が死ぬ時、後悔が全く無いなどということがあるのだろうか。大抵の人は、ああすれば良かった、こうすれば良かった、もっと会いに行けば良かった、もっと気持ちを伝えれば良かった、そんな風にに思うだろう。そういう後悔を少しでも「自分が」したく無いが為に、親孝行を使おうとしているようにも思う。

それでも、私はこれからあと何年、何十年一緒に居られるかわからないけれど、母が幸せだと思える期間を少しでも長くしてあげたい。だってそうしないと、私は母の死を受け止められる気がしないのだ。そしてこれは、私のこれからの人生をかけたビッグプロジェクトだと思っている。

 

私がこんなことを考えていると知ったら、母は余計なお世話だと憤慨しそうではあるが。

 

以上。

仕事がつらいと心底思ったらどうしたらいいか考える

アオイケです。

 

今日会社で、一気に3人分の退職情報を耳にした。先週の金曜日に最終出勤を終えて有休消化に入っている方が1人みえるので、この1〜2ヶ月の間ですでに4人の退職が確定している。弊社ではあの人辞めるってよ、辞めたってよ、というのはよく聞く話なのだが、流石に一気に3人分というのはなかなかに衝撃的だった。

 

一人は、より良い条件の大企業への転職が決まっているらしい。もう一人は、まだ次の進路は決まっていないが、一旦実家に戻ってゆっくり考えるという。そしてもう一人は、鬱病によるドロップアウトだった。

 

心と身体の健康は何よりも大切

私は、たかだか仕事の為に心と身体の健康を犠牲にするなんて馬鹿げている、と常々思っている。もちろん、仕事への姿勢というのは人それぞれ違うだろうし、状況に応じては何かを犠牲にしてでもやるべきことがあるかもしれない。だけど、お金も地位も名誉も目標も、全て健康な心と身体があってこそ意味がある。この記事では、たかだか仕事の所為で大切なものを犠牲にしない為に、どうすべきかを今一度考えてみたいと思う。明日は我が身だ。

 

辛い悩みの迷路から抜け出すには

「仕事だるいなぁ…仕事辛いなぁ…仕事行きたく無いなぁ…仕事辞めたいなぁ…」

こう漠然と日々考えている人は、沢山居ると思う。現に私も、つい最近まで思っていた。それと同時に「だけど、辞めてどうするんだ?次の仕事は?何かやりたいことはあるのか?これは逃げじゃ無いのか?」とも思っていた。辞めたいという感情と、それを良しとしない感情がせめぎ合って、出口のない迷路に迷い込んでしまった状態である。

人間、こういう「結論の出せない悩み」を抱えた状態というのが、一番辛い。

只でさえ現状に不満があって辛いのに、更にそれを解決する術がない。その不満の度合いが軽く、耐えられるうちはまだ良いのだ。もしかしたら事態が好転するかもしれないし、取り敢えず様子見という選択もある。だけど往々にして不満というのは、一度認識してしまうと加速度的に膨らんで行くように思う。パンパンに膨れ上がった不満を抱えながら、なお迷路を彷徨い続けると、そのストレスが身体に不調となって現れ、最悪鬱や自殺といった辛い結末を引き起こす。

 

これを避ける為には、もちろん不満要素全てが取り除かれれば一番良いのだが、そう簡単に外的なものは変わらない。であれば、一番手っ取り早いのは「自分を変える」ことだ。

この「自分を変える」というのは、いきなりスーパーサラリーマンになって仕事バリバリ出来るようになるとか、起業してIT社長になるとか、そういうすぐの実現が難しそうなことではない。

自分の「思考回路」を変えることこそが、悩みの迷路から抜け出して楽になる一番の近道だと私は常々自分に言い聞かせている。

 

では、「思考回路を変える」とは、具体的にどういうことなのか。

 

理想の自分になると決意する

大抵の人は現状を変えることを苦手とする。

仕事に不満タラタラ、「本当はこんな仕事辞めてこうなりたい!」「本当は〇〇部に異動してこんなことがしたい!」と思っていても、「でもどうせ自分には無理だし…大変そうだし…」と自分に自信がなかったり、「こう思うのは、今の仕事からの逃げじゃないか?みんな頑張ってるんだから…」と自分を責めてみたりして、本気で理想の自分や環境を目指せる人間は少ないように思う。

 

だけど、そこで「どうせ無理」と諦めていては、現状は良くて変わらないか、どんどん悪くなっていくかのどちらかである。この「諦めの思考回路」は、変えねばならない。

 

その為には、辛いと思った時こそ、

①本当はどうありたいのか

②どうすればそうなれるのか

をとことん本気出して考え、

③そうなると決意する!

以上の3ステップが、とても大切なのだ。

 

決意さえしてしまえば、辛さの原因の8割は解消されると思って良い。その時点で出口のない悩みの迷路から抜け出すことができるからだ。あとは、目指す理想像に向かって走るのみ。たとえ自分を取り巻く辛い環境は変わっていなくとも、そこから抜け出す算段を持っていれば、心の負担は大きく軽減されるだろう。

 

現に私も、「絶対に近い将来ライターとして生きていく!」と決心しブログを始めたからこそ、今の仕事にもある程度心の余裕を持って取り組むことが出来ている。いつまでもこの環境に身を置くこともないと思うだけで、本当に心がラクになった。

 

思考をコントロールすることの難しさ

上記では思考コントロールの大切さについて述べた。のだが、これが簡単に出来れば日本人の過労死件数はこんなに多くないだろう。

劣悪な労働環境に身を置き続けると、徐々に正常な思考を失ってしまい、思考のコントロールどころの話ではなくなってしまうのだ。

こうなる前の早い段階で、劣悪な労働環境から抜け出す為の思考にチェンジ出来れば良いのだが…。こればかりは、当人がそれに気付けるか次第になってしまうのが辛いところだ。

 

さいごに

私は諦めと見切りが早い方なので、あまり悩まないタイプだ。それでも、本文中で少し触れたが、昨年末あまりに仕事が辛すぎて鬱の一歩手前のような状況になってしまった。そこから抜け出すために行った思考をまとめたものが今回の記事である。

仕事が辛くて悩んでる方に、私の経験が少しでも役に立てば嬉しいです。

 

以上。

 

女の友情がもろい理由を考える

アオイケです。

 

大学時代に同じ学科に所属していた友人宅へお邪魔してきた。この友人とは、ここ一年間の間に5回ほど会っている。お互い家庭が有る身で、大学時代の繋がり以外に共通点が無い(厳密に言えば車で15分の距離に住んでおり、かつ同業者であるが)にも関わらずこの頻度は、なかなかなものでは無いだろうか。

 

この友人は非常に明るくて優しく、発想が素晴らしく面白い。会うたびに様々な気づきを私に教えてくれる。おまけにとっても可愛らしい。そんな彼女が、私は大好きなのだ。

 

が。

 

私は大学時代、彼女と同じコミニュティに属していたが、正直言って彼女が苦手だった

嫌っていたと言ってもいいかもしれない。

当時はそんなことに気づきもしなかったが、今思えば私は、彼女への劣等感と嫉妬心とコンプレックスでいっぱいだった。断言できる。

入学当時、皆同じスタートラインに立ったばかりの時はそんな感情を抱いていなかったはずなのだが。純粋に仲良くできていたはずなのだ。

 

今でこそそれなりに自己肯定出来る様になったのだが、大学時代の私はそれは酷いものだった。人生の暗黒期と言って良いかもしれない。世間一般では、大学時代こそ人生で最も自由で楽しい時期、充実してて当然、といった風潮が有るが、私には語れることが何も無い。これは正直、今でもコンプレックスである。

 

そんな暗黒大学生だった私とは対照的に、彼女は絵に描いたようなキラキラ大学時代を送っていた。(様に私には見えていた)

自主的にサークルを立ち上げ、就活では私が志望していた業界から内定を貰い、高身長イケメンの彼氏と付き合っていた。

当の私と言えば、サークルには所属せず、就活は志望していた業界から内定を貰えず仕方なく受けた地元の金融機関からのそれで妥協し、彼氏は大学時代一度も出来なかった。唯一、当時私はジャニーズの、隆盛を極めていた嵐…では無くV6にどんハマりしており、それに全てを費やしていたので、全く何もなかった訳ではない。むしろコンのために方々へ飛び回り、非常に精力的に活動していた。それ自体に悔いはなく、良い思い出であるのだが、その代わりに所謂「リアルでの充実」というものを犠牲にしてしまった。

 

そんな、キラキラリア充である彼女とギラギラオタ充であった私は、当然卒業後ほとんど連絡を取ることもなく、年に一度誰かが舵取りしてくれる集まりで顔を合わせる程度の付き合いを数年続けていた。

 

この関係性が、ある時変わる。

彼女と、大学時代からの高身長イケメン彼氏との、結婚式に参列したことがきっかけである。

 

私は当時、全てに不満だらけで、当然彼氏もいないどころか1ヶ月前に好きな人にフラれたばかり、仕事も嫌、とにかく現状を変えたくて仕方がなかった。少しずつ転職活動を始めてはみたものの、次に何をやりたいかも解らず、難航していた。

そんな中呼ばれた彼女の結婚式は、正直今の自分と対比して辛くなるだけだから行きたくなかったのだが、欠席する様な度胸も無いので参列した。

結果、これが良かったと今では思う。

私がかつて憧れた業界で懸命に働いている彼女を、その同期、上司の方々が祝福している。料理では彼女の会社の商品が粋な形で使用されており、とても感動したことを覚えている。

やっぱり私もこの業界に行きたい、そう強く決心したと同時に、私も彼女の様になりたいと素直に認めることが出来た。

 

それから約半年後、私は無事同じ業界に転職し、同時に一人暮らしも始め、トントン拍子で今の夫と出会い、結婚した。

 

要は、私を蝕んでいた彼女へのコンプレックスを、彼女の結婚式に参列したことがきっかけとなり前向きに解消することができ、彼女への苦手意識も払拭出来たという訳だ。それからは定期的な付き合いが復活し、今に至る。

 

自分語りが非常に長くなりました。すいません。タイトルの通り「女の友情がもろい理由を考える」にあたって、過去のことを色々と思い出していたのですが、本当に私は女の嫌な部分を濃縮した様な人間だなと再確認して嫌になりました。

長々それらしく友情が復活した理由を書いてきましたが、端的にまとめると「自分と彼女が対等だと思えるようになったから」これだけの話ですが、もう一つ理由があります。

それは、「自分と彼女を比較をしなくなったから」です。

 

得てして女という生き物は、他人を通して自分の価値を図ります。自分に自信が無ければ無いほどにその傾向は強くなり、自分より下だと判断した人間を見つけることでしか自分の価値を感じられないのです。

私は大学時代〜転職する前まで全く自分に自信が無く、優れたリア充な女の子を見ては羨み苦しみ、他人の不幸は蜜の味、といった最悪な状況でした。

しかし希望の業界に転職し、それなりに経験を積むという一つの成功体験を通して、少しずつ自信が持てる様になりました。自己肯定が出来るようになったのです。これによって、他者との比較以外に、主体的に自分に価値を見出すことが出来るようになりました。

結果自分と彼女の比較をしなくなり、劣等感を感じることもなくなったという訳です。

 

ですが、これは結婚というライフステージまでの話です。この先家の購入、妊娠、出産、様々なステージを経て、いつ私の自己肯定感が揺らぐか分からないし、また劣等感に苛まれる日が来ないとも限りません。

出来るだけそうならないように自分に軸を持っていたいのですが、人生はそんなに全て思う通りに行くとは私は思っていません。

だから、また彼女と疎遠になってしまう時が来るかもしれない。だけど、また繋がる時が来るかもしれない。女の友情は、それくらいのゆるいスタンスでも良いんじゃないかと思っています。女の友情がもろいのは女である以上仕方ない。それを受け入れて、その時その時のステージに合わせて繋がる人を大切にしていきたいと思っています。

 

余談ですが、彼女は大学時代、今の旦那さんと付き合うときに「この人ならば結婚しても大丈夫そうだ」と言う理由で選んだ、という話を最近聞きました。大学時代から結婚まで見据えて男を選んでいたなんて…私がアイドルのケツを追っかけ回していた時に…そりゃぁ敵うわけ無いよな…と思いました。以上。

何故自分だけの為には料理をする気が起きないのかを考える

アオイケです。

 

アラサー女子の皆様、料理はお好きですか?

私は、割と料理好きな方だと自負しております。

 

実家に居た頃は包丁を握ることすらめんどくさく全てを母に委ねてきた寄生虫女でしたが、転職を機に一人暮らしを始めてからそれなりに料理に目覚め、この時期にはせっせと牡蠣をこさえてはオイル漬けを作っておりました。

今年も作りました。牡蠣、美味しいよね。しかし弊社には、食品メーカー故に二枚貝食うべからずの掟があり、毎回牡蠣を食す時は「きっ…禁断の果実…っ!」と呟きながらえもいわれぬ背徳感を感じております。それがまた良い。

 

話が逸れました。

 

私はそれなりに料理が好きで、一人暮らしの時も自分の為に頑張って料理をしていた時期もありました。

が。

結婚してからは、本当に全くもってやらなくなりました。

旦那が飲み会で居ない夜は95割の確率でインスタントラーメンです。特に辛ラーメン最高です。大好き!

こういう奥様方が世の中の9割だと勝手に思っております。統計取ったわけでもソース調べたわけでもないけど。

私の母も土曜の昼は袋麺食べてたし、隣の席の営業さんの料理が神レベルの奥様も一人の時は焼きそば食ってるって言ってましたからね!

 

夫が食べるとわかっているときは、しっかりやれるのです。この前なんか、丸鶏を焼きましたし、先週の土曜は半日かけて巷で話題のファイナルカレーのエッセンスを取り入れたものを作りました。ファイナルカレーについては下記をご参照下さい。次元が違う美味しさのカレーが家で食べれられます。

cakes.mu

 

また話が逸れましたね。

 

食べてくれる人が居るからやる気が起きるのは当然だろ馬鹿なの?終了!としてしまうことは簡単なのですが、せっかくブログがあるので、なぜ自分だけの為には料理をする気が起きないのか自己分析してみることにしました。

 ①腹を満たすだけの料理は楽しくないからやる気が起きない

料理には、1.日々腹を満たす為のもの 2.明確に目的を持って作るもの の2種類があると思っており、1は単純にやっていて楽しくない。お腹が空いたからそれを満たす為に仕方なくやる行為であり、言うなれば掃除と同じようなものです。

ぶっちゃけて言えばたとえ夫が食べてくれようとも、平日の夜仕事から帰ってきて疲れた身体に鞭打って、冷蔵庫にあるそろそろ消費しないとヤバそうなキャベツと冷凍庫にある特売の豚こまと創味シャンタンで適当に中華風炒めものを作るなんて言うのは全く楽しくないです。しかしこの場合は、私が我が家での料理担当なので、夫にそれなりのものを食べさせるミッションがあるからやれるのです。

夫が食べてくれてもこうなのだから、そりゃ自分の為にやれる訳が無いですよね。

上記で挙げた「牡蠣のオイル漬け」や「ファイナルカレー」なんかは、「食べてみたい」「やってみたい」という自らの好奇心や欲求が先にあって作ったものです。だから作る過程から食べるまで、全てが楽しくてエンターテイメントなのです。

私はほんとクソずぼらの面倒くさがり屋なので、本当は2のエンタメ料理だけやっていたい。1の義務料理は嫌だ…あれ…私は果たして料理好きを自負して良いのだろうか…

②自分で作って自分で食べても誰も褒めてくれないからやる気が起きない

やっぱりこれですね。褒められたい。美味しいねって言われたい!これに尽きます。料理って、すごく複雑で時間がかかる行為だと思うのです。パスタとか手抜き料理の代表格みたいな言われ方をしていますが、麺の茹で上がりを計算して別のフライパンでソースを作って、ベストなタイミングで湯から麺を揚げて手早く混ぜて…とか考えるだけで面倒くさいです。これだけ手間をかけたからには、やっぱり褒められたいのです。

ここで重要なのは、「褒められる」ということです。夫がたとえ食べてくれたとしても、無言だったり、「これほんだし使った?僕は鰹と昆布からとった出汁で作ったお味噌汁しか飲まないって言ったよね?」なんて言われた日にはもう次の日からたわしコロッケだよ。

ちなみに、私の夫は私の料理が何であろうと美味しい美味しいと言って食べてくれる素晴らしい味覚の持ち主です。「イケちゃんの料理をこの先ずっと食べられるなんて俺は最高に幸せだ」と、私が適当にヒガシマルのうどんスープで作った雑炊を頬張りながら言ってくれました。ヒガシマルに感謝しかない。すいませんノロケです。

夫の「美味しい!」にどろどろに甘やかされた私は、もうそれ無しに料理を作ることが困難になってしまったのですね。大袈裟ですが、それくらい夫の「美味しい!」には中毒性があるのです。

とかなんとか尤もらしいことを宣っておりますが、インスタントラーメンを食べる自分を正当化したいだけなのでした。

さいごに

実は今日、夫は仕事がヤバいとのことで会社に泊まっており、夕飯は私一人でした。マルちゃん正麺醤油味を食べようとも思いましたが、ランチに担担麺とチンジャオロース丼という悪魔的セットを食してしまったので、せめてもの罪滅ぼしに大根と梅の卵雑炊を作って食べました。味付けはミツカンの焼きあごだし鍋つゆのみです。

www.kukking10chan.net

こちらの記事に触発されて作りました。めっちゃ美味しかったです。

証拠画像です。

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「今日は旦那居ないぜ家で一人で好き放題だぜイェ~~~!」と思っていたのですが、やっぱり一人で作って一人で食べるご飯はちょっと味気ないのです。やっぱり夫が居てくれたほうが良いなあとこのブログを書きながら思うのでした。以上。

絶対に定時で退勤する方法を考える

アオイケです。

 

先月の残業時間はトータル40時間でした。

一日約2時間。弊社の定時は17時半なので、毎日平均19時半まで会社に居ることになります。

これが多いか少ないかまあ普通じゃね?となるのかは本当にその人次第だと思うのですが、

私は非常に嫌です。

せっかくブログも始めたことだし、もっと書く時間を捻出したいので、真剣にどうすれば絶対に定時で帰るマンになることが出来るのか考えました。

 

①物理的に仕事を減らす

はい。やっぱりこれですね。

自分で書いていて、これが出来るならばそもそももう定時に帰ってるよって話だよなと思った。

 

と思考停止する前に、物理的に仕事を減らすには具体的にどんな方法があるのかを考えてみました。 

(1)他人に振る

こう書くとなんだか非常に嫌な奴の様に思えるのですが、これが出来ないのはただの無能だと最近つくづく思うようになりました。

とは言え私含め日本人は、人に仕事を振ることが苦手だと思うのです。

気を使って他人に頼むくらいならば、自分でやってしまった方が気が楽だ(説明する手間が省けるし…)、と私もこれまで何回思ったか分かりませんし今も思います。

しかし、この、思考停止でとにかく自分がやればそれで良いスタンスは、最初は良いかもしれませんが、いつか耐えられずに爆発する時が来ます。私の様に。私はそれで年末に爆発しました。

なので2019年は、自分でやってしまいたい気持ちを抑えながら、他人に振る様に努力しています。もちろん、自分がやるべき仕事と、振っても大丈夫な仕事の区別は付けています。何でもかんでも振っていたらそれはただの仕事しないヤツですからね。

 

また、他人に仕事を振るというのは、長い目でみたときに組織全体の成長に繋がります。

仕事というのは往々にして出来る人間に集まるものですが、その影では成長する機会を奪われたがために出来ないというレッテルを貼られている人も居るはずなのです。

仕事を振るのは、その人を頼るということ。

物事はなんでも言い方ひとつです。

その人を頼って、気持ち良く仕事をしてもらい、とびきりの感謝を伝える。もちろん、仕事をお願いする時にはしっかりフォローし、自分の持つスキルも伝授することを忘れずに。私は仕事が軽くなるし、その人は頼られることによって自己肯定感が生まれ、更にはスキルアップも出来る。まさにWIN-WINの関係、良いことだらけです。 

とまあ、なんとも素晴らしいことの様に書いてありますが、そもそもお前そんな仕事出来る側の人間かぁ?という話です。つらい。何様だよ。

 

(2)効率化を図る

 これはやはり王道ですね。

”いつも通りを疑え”常に無駄な点は無いか、工数は減らせないか。考えていくことは非常に大切です。でもね。

 

私の様なたかが一般社員に出来る範囲の効率化なんかじゃとても残業0になんて出来ねぇよ!!!

 

という話なんです。これ。

おそらく皆、それなりにどうすれば効率化出来るのか、考えて日々取り組んでいると思うんです。ショートカットキーをめっちゃマスターするとか、一々別シートから手打ちで転記してたものを関数で繋いで自動的に抽出出来るようにするとか、ちょっと頑張ってマクロ組んでみたりとか。私だって無能なりにそれなりに色々やりました。

でもね。

定時30分前に「これ明日の午前中までにできますか…?」みたいな案件がいくつも降ってきたら、どれだけ普段効率化していようが残業確定です。

 つまるところ、

「自分のコントロール外から業務が発生する」

これこそが残業、ひいてはこの胸に渦巻くやりきれないイライラとストレスの要因、ストレッサーなわけです。

 

業務にもいろいろ種類があり、比較的仕事量やスケジュールをコントロールしやすいものから、どうやっても自分でコントロールできないものまで様々です。

私は今、事務(という名の何でも屋)をやっていますが、事務になる前は営業をやっていました。今思えば営業は、得意先との窓口であり、受注~販売までを川の流れに例えると上流の仕事なので、比較的業務量をコントロールしやすかった。

ところがどっこい!一見楽そうに見える事務は(これは私の話なのであくまで一例ですが)、既に得意先と営業で販売までのスケジュールを決定している中で、そこに向けて何が何でも業務を遂行する必要があります。

それが納期的にありえないスケジュールでも、絶対です。

自分でコントロール出来る範疇に無いってことですね、悲しいかな…

 

あまりの日々のストレスと怒りで話が逸れました。

効率化の話でした。でも個人で出来る効率化くらいじゃ大きな業務時間の削減は見込めないので、もっと大きな組織レベルで体質改善しなければいけないと私は思います。

その改善を、舵を取って進める事が出来れば一番なのですが、私にはそんな気力はないです。つらい。

 

②絶対に残業しないマインドを持つ

毎朝私は、出勤してデスクに座りPCの電源を入れながら

「今日は定時で帰る今日は定時で帰る今日は定時で帰る…」

と呪詛のように唱えます。

 

しかし16時頃になってくると

「無茶ぶりすぎなんだよなぁ…なんだよ昼過ぎに依頼してきて夕方までに資料作れってアホなのかあのクソ上司が…(メールカチー)ってはぁ?この時間の依頼で明日の朝まで?ふざけてんのか!?明日の朝は明日の朝でやることがあんだよあーーーーもう残業確定ですわ死ね」

以上の様に暴言を(脳内で)吐きながら、飛び込みの仕事の帳尻を合わせる為に朝の決意は何処へやら、残業へと突き進むのです。

 

だけど、もし「1分でも残業したら死ぬ」みたいな病気を患っていたら、飛び込みの仕事なんてお構い無しに帰るはずです。つまり私の朝の決意など、所詮少しの飛び込み業務で吹き飛ぶ程度の軽いものだということです。

 

極論、業務があろうが無かろうが、断固朝の決意を貫いて帰ってしまえばいいのだと最近は思うようになりました。そんなことしてたら納期に間に合わないって?そうですね、間に合わないこともあると思います。もしかしたら上司や先輩から怒られ同僚から苦情が来るかもしれません。しかし、それを繰り返していけば、「この人は残業してくれないから、定時で捌けるだけの業務を与えよう」という共通認識が生まれ、業務量が適正値になります。ハッピー!!!

まあ、そんな鉄メンタル持ち合わせていないので、私には出来っこないけどね。

だけど強ち、間違っていないと思うのです。慢性的に残業が発生しているということは、明らかに人が足りていない。人を入れることが出来ないのであれば、居るだけの人数で定時内に業務処理可能な事業規模に縮小する。そういうことが当たり前になされないのは、残業ありきですべての計画が組まれているからだし、それを雇用される側が受け入れてしまうからだと思うのです。

 

そんなことを考えながら、もし私に力があればっ…!みたいな感情に前はなっていたのですが、最近はすり減りすぎて「はー辞めよ」って感じです。

 

まとめ

つらつらと「絶対に定時で退勤する方法」を書いてきましたが、100割今の私の仕事への愚痴になりました。すいません。ストレスマックスなんです。

とりあえず、明日は絶対定時で帰ります。以上。

「良い死に方」について考える

アオイケです。

 

2019年1月某日、三が日が明けてすぐのこと。

年末から危篤状態にあった母方の祖母が亡くなった。

 

アラサーにして初めて直面した、肉親の死だった。

 

「良い死に方」ってなんだろう?

年末大掃除を頑張ったご褒美にスシローに行こうぜ!と夫と話していた夜。

母から電話が入った。

12月頭から入院していた祖母の容態が急変し、昏睡状態にあるということ。今すぐ亡くなるような血圧では無いが、意識はもう戻らないこと。

そんなことを話してくれた。

それなのに、幸か不幸か今まで人の死に直面したことの無かった私は、まだ祖母の死はどこか遠い出来事のような感覚でいた。

その後は予定通り、スシローでたらふく寿司を食べた。

しかし、年越しを目前にした31日の午後、母と共に祖母の入院する病院へ見舞いに行き、凄まじいショックを受けたのだ。

何もない部屋、くすんだ壁紙、簡素なパイプベッド。

心が寒くなるような殺風景な空間に、祖母は横たわっていた。

目が半開きなのは、閉じる事が出来ないからだと言う。

大きく上下する胸と顎が、確かにまだ祖母が生きていることを伝えてくれたのだけど、それと同時にもう二度と祖母は目を覚まさないのだ、と言うことを実感した。

呆然とする私の横で、母は祖母の額を撫でながら、静かに泣きながら、こう言った。

 

「こんな寂しいところで、お母さんの人生が終わるなんて、耐えられない。お家で看取ってあげたい」

 

私も、こんなに寂しいところで一人過ごしているおばあちゃんのことを思うと、耐えられないほど苦しかった。しかし、「家での看取り」は現実的では無いと思う自分もいた。

 

本当に良い死に方って、なんだろう?

 

自宅で看取ることは容易では無い

私の母は、嫁に出ていて祖母とは別居だった。家で看取るのか病院にお世話になるのか、そういったことの選択権は同居の親族にあり(そもそも祖母は要介護であったから、介護をしてきた同居親族こそが決めるべきなのだろう)、母がどれだけ「こうしたい」という思いがあっても、それを実現することは容易では無いように思えた。

 

子や孫に囲まれながら、住み慣れた自宅で最期を迎える。

これ以上幸せな最期は確かに無いだろう。

 

しかし、自宅にいつ亡くなるか分からない人間がいるという状況は、果たして私だったら受け入れられるのだろうか?

その前に、昏睡状態の何も食べられない人間が、点滴も何も無い状態で自宅に横たわっていたら、果たしてその状態を受け入れられるのだろうか?

 

看取り側の負担を考えると、とてもそれを祖母と同居の家族に強いることは出来ないと思った。

極論、この土壇場での「こんな寂しい病室で亡くなるなんて可哀想!自宅で看取るべき!」という考えは、傍観者のエゴ以外の何者でもないとさえ思った。

だって、本当に強く自宅での看取りを希望するなら、当事者になって事前に準備することはいくらでも出来たのだから。

 

死についての備え

結局、祖母はそのままの病室で、一人で亡くなった。

それでも、棺に入って綺麗にお化粧してもらった祖母は、笑っているように思えた。

祖父と子供達、私を含む孫たちから手向けられた花に囲まれた祖母は、綺麗だった。

 

私は今回、祖母の死にあたって、自宅での看取りについて調べ、下記の記事はとても参考になった。

 

Q 家族を自宅で看取るには? : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

 

これから近い将来必ずやってくる親の死。

そして、自分の死。

どのように迎えたいのか、きちんと話し合い準備し、出来る限り後悔の無いようにしたいと思う。

ブログ始めました

はじめまして、アオイケと申す者です。

 

平成も残りわずか、平成と共に誕生した私の20代も残りわずかとなり、人生このままで良いのか?と元旦に悩んだ末にブログを始めてみました。

 

このブログでは、アラサー女の日常で起きる何でもないことからとんでもないことまで、とにかくコンスタントに面白おかしく記録していけたらと思っております。

 

このブログを通して、実現したい目標が二つあります。

一つは、ブログを書くことでライティングスキルを磨き、ライター業で稼げるようになること

二つ目は、ブログで収益を上げること

 

千里の道も一歩から。

同じ時を生きるアラサー女子の皆様の心に、少しでも寄り添えるような、そんな文章を産み出すために日々精進して参ります。

 

最後に私アオイケのプロフィールを簡単に。

地元の金融機関に新卒で就職→転職を経て食品メーカーの営業に→結婚を機に事務へ異動し今に至る。

年下の夫と結婚して約1年。

夫婦揃ってキンプリに落ちかけています。

 

よろしくお願い致します。