アラサー女が人生について考えるブログ

アラサー女アオイケの、これまでと今とこれから

女の友情がもろい理由を考える

アオイケです。

 

大学時代に同じ学科に所属していた友人宅へお邪魔してきた。この友人とは、ここ一年間の間に5回ほど会っている。お互い家庭が有る身で、大学時代の繋がり以外に共通点が無い(厳密に言えば車で15分の距離に住んでおり、かつ同業者であるが)にも関わらずこの頻度は、なかなかなものでは無いだろうか。

 

この友人は非常に明るくて優しく、発想が素晴らしく面白い。会うたびに様々な気づきを私に教えてくれる。おまけにとっても可愛らしい。そんな彼女が、私は大好きなのだ。

 

が。

 

私は大学時代、彼女と同じコミニュティに属していたが、正直言って彼女が苦手だった

嫌っていたと言ってもいいかもしれない。

当時はそんなことに気づきもしなかったが、今思えば私は、彼女への劣等感と嫉妬心とコンプレックスでいっぱいだった。断言できる。

入学当時、皆同じスタートラインに立ったばかりの時はそんな感情を抱いていなかったはずなのだが。純粋に仲良くできていたはずなのだ。

 

今でこそそれなりに自己肯定出来る様になったのだが、大学時代の私はそれは酷いものだった。人生の暗黒期と言って良いかもしれない。世間一般では、大学時代こそ人生で最も自由で楽しい時期、充実してて当然、といった風潮が有るが、私には語れることが何も無い。これは正直、今でもコンプレックスである。

 

そんな暗黒大学生だった私とは対照的に、彼女は絵に描いたようなキラキラ大学時代を送っていた。(様に私には見えていた)

自主的にサークルを立ち上げ、就活では私が志望していた業界から内定を貰い、高身長イケメンの彼氏と付き合っていた。

当の私と言えば、サークルには所属せず、就活は志望していた業界から内定を貰えず仕方なく受けた地元の金融機関からのそれで妥協し、彼氏は大学時代一度も出来なかった。唯一、当時私はジャニーズの、隆盛を極めていた嵐…では無くV6にどんハマりしており、それに全てを費やしていたので、全く何もなかった訳ではない。むしろコンのために方々へ飛び回り、非常に精力的に活動していた。それ自体に悔いはなく、良い思い出であるのだが、その代わりに所謂「リアルでの充実」というものを犠牲にしてしまった。

 

そんな、キラキラリア充である彼女とギラギラオタ充であった私は、当然卒業後ほとんど連絡を取ることもなく、年に一度誰かが舵取りしてくれる集まりで顔を合わせる程度の付き合いを数年続けていた。

 

この関係性が、ある時変わる。

彼女と、大学時代からの高身長イケメン彼氏との、結婚式に参列したことがきっかけである。

 

私は当時、全てに不満だらけで、当然彼氏もいないどころか1ヶ月前に好きな人にフラれたばかり、仕事も嫌、とにかく現状を変えたくて仕方がなかった。少しずつ転職活動を始めてはみたものの、次に何をやりたいかも解らず、難航していた。

そんな中呼ばれた彼女の結婚式は、正直今の自分と対比して辛くなるだけだから行きたくなかったのだが、欠席する様な度胸も無いので参列した。

結果、これが良かったと今では思う。

私がかつて憧れた業界で懸命に働いている彼女を、その同期、上司の方々が祝福している。料理では彼女の会社の商品が粋な形で使用されており、とても感動したことを覚えている。

やっぱり私もこの業界に行きたい、そう強く決心したと同時に、私も彼女の様になりたいと素直に認めることが出来た。

 

それから約半年後、私は無事同じ業界に転職し、同時に一人暮らしも始め、トントン拍子で今の夫と出会い、結婚した。

 

要は、私を蝕んでいた彼女へのコンプレックスを、彼女の結婚式に参列したことがきっかけとなり前向きに解消することができ、彼女への苦手意識も払拭出来たという訳だ。それからは定期的な付き合いが復活し、今に至る。

 

自分語りが非常に長くなりました。すいません。タイトルの通り「女の友情がもろい理由を考える」にあたって、過去のことを色々と思い出していたのですが、本当に私は女の嫌な部分を濃縮した様な人間だなと再確認して嫌になりました。

長々それらしく友情が復活した理由を書いてきましたが、端的にまとめると「自分と彼女が対等だと思えるようになったから」これだけの話ですが、もう一つ理由があります。

それは、「自分と彼女を比較をしなくなったから」です。

 

得てして女という生き物は、他人を通して自分の価値を図ります。自分に自信が無ければ無いほどにその傾向は強くなり、自分より下だと判断した人間を見つけることでしか自分の価値を感じられないのです。

私は大学時代〜転職する前まで全く自分に自信が無く、優れたリア充な女の子を見ては羨み苦しみ、他人の不幸は蜜の味、といった最悪な状況でした。

しかし希望の業界に転職し、それなりに経験を積むという一つの成功体験を通して、少しずつ自信が持てる様になりました。自己肯定が出来るようになったのです。これによって、他者との比較以外に、主体的に自分に価値を見出すことが出来るようになりました。

結果自分と彼女の比較をしなくなり、劣等感を感じることもなくなったという訳です。

 

ですが、これは結婚というライフステージまでの話です。この先家の購入、妊娠、出産、様々なステージを経て、いつ私の自己肯定感が揺らぐか分からないし、また劣等感に苛まれる日が来ないとも限りません。

出来るだけそうならないように自分に軸を持っていたいのですが、人生はそんなに全て思う通りに行くとは私は思っていません。

だから、また彼女と疎遠になってしまう時が来るかもしれない。だけど、また繋がる時が来るかもしれない。女の友情は、それくらいのゆるいスタンスでも良いんじゃないかと思っています。女の友情がもろいのは女である以上仕方ない。それを受け入れて、その時その時のステージに合わせて繋がる人を大切にしていきたいと思っています。

 

余談ですが、彼女は大学時代、今の旦那さんと付き合うときに「この人ならば結婚しても大丈夫そうだ」と言う理由で選んだ、という話を最近聞きました。大学時代から結婚まで見据えて男を選んでいたなんて…私がアイドルのケツを追っかけ回していた時に…そりゃぁ敵うわけ無いよな…と思いました。以上。